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ついにあす11月3日 文化の日 「マンティー・チダのSPORTS VIBRATION」ですが

あすゲストの藤田宗一さんの紹介をさせて頂きます。(経歴、動画)

 

藤田宗一さん 元プロ野球選手 投手
1972年10月17日 (43歳)
京都府八幡市出身(現在の表記名)

長崎県の私立島原中央高等学校に野球留学

卒業後 西濃運輸に入部し抑えとして開花

1997年 千葉ロッテマリーンズにドラフト3位で入団。
ルーキーイヤーの1998年4月4日 近鉄戦」8回に初登板 11日の西武戦で初セーブを記録し、7セーブを記録。
1999年65試合登板でリーグ最多登板、
2000年70試合登板でリーグ最多登板。最多ホールドのタイトルを獲得。

2004年まで運用された旧規定のホールドとは別扱いで記録される。この旧規定はメジャーリーグの規定と同じ条件であった。
1996年から2004年まではセパそれぞれ規定を設けてタイトルホルダーを決めていた。
かつてはセ・リーグが リリーフポイント(リリーフでの勝利数+セーブ数)

2001年オールスターゲーム出場  60試合出場。
2002年50試合出場
2003年28試合出場
2004年62試合 プレーオフ出場に貢献。
2005年「YFK」の一角として45試合に登板して1勝4敗、防御率はルーキーイヤーの1998年以来の2点台となる2.56の成績を残し、31年ぶりのリーグ優勝と日本一に大きく貢献。
2006年 WBC日本代表 優勝メンバー。
2007年 史上79人目通算500試合登板。(初登板からすべてリリーフは史上初)
この年のシーズンオフに千葉ロッテを退団。
2008年 巨人に移籍。4月5日阪神戦で中継ぎ登板し、当時日本記録となる527試合連続救援登板を達成した。
2010年 巨人より戦力外通告を受け退団・
2011年 福岡ソフトバンクホークスに育成選手として契約。その後支配下登録され、10月22日に千葉ロッテマリーンズ戦で通算600試合登板を達成。その後戦力外通告を受け退団。
2012年 独立リーグ ベースボール・チャレンジリーグの群馬クレインサンダースに選手兼任投手コーチとして入団。9月13日に現役引退を表明。
その後 赤坂に焼ききゅう豚『繁』(しげ)を開店。オーナーに就任。
2015年より、古池拓一らと共に中学少年野球チーム(ボーイズリーグ加盟)の吉川美南ボーイズを立ち上げた。